次ページ:「新宿ロフト」発信の支援プロジェクト「Forever Shinjuku Loft」について

新型コロナウイルス感染拡大防止に伴い、営業自粛中の老舗ライブハウス「新宿ロフト」。来年45周年を迎える歴史と存続を守ろうと、「新宿ロフト」発信の支援プロジェクト「Forever Shinjuku Loft」がスタート。第二弾として、WIZYにてオリジナルデザインのマスクをドネーショングッズとして6月14日(日)まで期間限定で販売する(https://wizy.jp/project/483/)。本プロジェクトをはじめ、ライブハウスへの想いを「新宿ロフト」ブッキング担当の樋口寛子に、また、ステージに立つ側からはシンガーソングライターのヒグチアイにお話を聞いた。

 

 

 

 

自分がこれまでやってきたものをどれだけ信じて伝えられるか、そんな場所かな

 

 

 

 

――まずはお二人にとってのライブハウスという場所についてをお聞かせください。

 

樋口寛子(「新宿ロフト」ブッキング担当):音楽も人も含め出会いの場所ですね。

 

ヒグチアイ:私は自分を試し、試される場だなと。同じ場所でも日々違うんですよね、不思議と。空気感や雰囲気、お客さんの層だったり、音も違うし…。そんな中、自分がこれまでやってきたものをどれだけ信じて伝えられるか、そんな場所かな。

 

――ではライブハウスの役割についてはいかがでしょう?

 

樋口:個人的にはゼロをイチにしてあげる場であると心していて。あとは過去ここを巣立ち大きくなってもいつでも還ってこられる場所でありたいなと。いつライブをしてもその方々ならではの音や空間を作り出せたらなとは日々思っています。

 

ヒグチ:確かに巣立つ場所でもあるし、還れる場所でもあると凄く実感します。なんか安心感があるんですよね。とは言え私の場合は、今はまだ還る場所よりかは向かう場所ですが…。如実に積み重ねた結果が表れる場でもあるんです、ライブハウスって。自分の成長や進歩、節目が確認できる場でもありますね。

 

 

 

 

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[SHINJUKU LOFT 40TH ANNIVERSARY MUSIC FES DREAM MATCH 2016](中央が樋口さん)

 

 

 

 

――アーティスト側からは「ライブハウスに育まれている」実感もあったりしますか?

 

ヒグチ:します!します!! 自分の生活やライブの出来不出来が如実に表れちゃいますから。私の歌は生きていることで生じるドラマを歌にしているんですが、そんな中、自分があのころ何をやっていたか、その前後でどうやって生きていたかをライブハウスを通し鮮明に想い出すことも多々あります。

 

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――以前ヒグチさんから、「自分がこれからも音楽を続けていくことに疑問を持っていた際に、樋口さんと出会い、その言葉で救われ、続けられた」とお聞きしたことがあります。

 

ヒグチ:もう樋口さんには、それこそ信頼感と出会えたこと、これまで支えてくれたことも含め感謝しかないです。最初に「新宿ロフト」に出た際のイベントが7年近く前。あの時声をかけてもらったことでその後何度も救われました。私も含めライブハウスのスタッフに声をかけてもらい、励まされ、どれだけミュージシャンが続けられていることか…。「新宿ロフト」は憧れの場所でした。初めて出たときに、PAの方が同郷で、「東京」という曲を褒めていただいたことがいまでも思い出深くて。売れている人からこれからの人まで、ライブハウスでいろいろな音楽を聴いているスタッフからいいといわれることは、内面にくる嬉しさがありました。

 

 

 

「ヒグチアイ Live at Veats Shibuya(2020.2.28)」 DIGEST

 

 

 

――ライブハウスは場所はもちろん、スタッフとの信頼関係で成立している面も大きそうですね。ちなみに樋口さんが「新宿ロフト」で働き始めたきっかけは?

 

樋口:まだ、西新宿にあった時代に、アルバイトから入りました。実はそれまでライブハウスというものをほぼ知らず。「大好きだったスピッツやTHE YELLOW MONKEYも元はライブハウス出身」と聞き、私もそんな原石と出会える仕事がしたく何も知らず応募しました。入ったら当時の「新宿ロフト」はめっちゃロック色が強く、えらく怖いところで(笑)。しかもかなりの体育会系だし縦社会。かなりの洗礼を受けました(笑)。

 

――西新宿時代は「ザ・ロックの殿堂ライブハウス!!」ってたたずまいでしたもんね。

樋口:働いていくうちに徐々にその凄さを知り(笑)、西新宿での2年間の事務経験を経て、1999年に歌舞伎町に移転する際に社員になりブッキング担当になったんです。でも、当時から「原石に出会いたい!!」との気持ちは変わってません。

 

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――樋口さんは、硬派で怖いイメージがあった「新宿ロフト」で、歌もの系やポップス、ギターロック系等々のアーティストを積極的に出演させ、新人にも門戸を開き、いい意味で来る方へも出る方へも敷居を低くした印象があります。実際、そこから多くの著名なロック、ポップスのアーティストも巣立っていったわけで。

 

樋口:その辺りは当時の故・小林社長にも感謝しています。「お前の世代の等身大のセンスやカラー、好きな音楽を入れてみてくれ!!」と任せていただいたところもあって。とは言え、結果は残さなくちゃいけなかったんで常に必死でしたよ(笑)。今もブレなく、自分がいいと自信を持ったものは推している自負はあります。私の思うライブハウスのブッキングは、「私が、俺がこのアーティストがいいと思うから出すんだ!!」という気概や強い想いが最も大事だと思っていて。動員がどうであれ、自分がいいと感じたんだから間違いない!!それぐらいの気概がないとやっちゃいけない。私も何度失敗して会社から嫌味を言われたことか (笑)。でも、そんな中からゼロがイチになる瞬間や、今日のアイちゃんみたいな出会いや付き合いにもつながるわけで。そこはホントこの仕事の醍醐味だし、続けてきて良かったと感じる瞬間でもあります。今も昔も「自分のイイが誰かのイイに変わっていく」、それがどんどん広がっていくのがたまらないです。

 

ヒグチ:演者や観者にとって、「その場所が残って欲しい!!」「今後もこの場所に出続けたい!!」そんな方々がどれだけいるか、その想いが強いか。それぞれの深い想いをキチンと積み重ねてきた結果が、今のライブハウスへ対するクラウドファンディングや支援グッズ購入に結びついているのだと思います。「新宿ロフト」は演者や観者からの想いも厚いので絶対に残っていくし、残していかなきゃいけない場所です。

 

 

 

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