演歌歌手として活躍中の田川寿美がデビュー30周年を記念して、12月22日(水)をもって過去の全曲がサブスク解禁となった。演歌と向き合い続けてきた彼女が30年を振り返って感じることや、大事にしてきたこと、サブスク解禁への想いなど、様々な視点でお話を聞いた。2022年に挑戦していきたいことや「意外と〇〇なこと」なども伺っており、様々な一面が見られるインタビュー、是非最後まで読んでほしい。

 

 

より新しい面を見ていただけるように頑張っていきたいと思います

 

──2021年にデビュー30周年を迎えられて、今どんなお気持ちですか?

 

好きなことを仕事にできて、自分が幸せなだけじゃなく、私の歌を聴いてくださった方々から「元気をもらいました」とか「歌を聴かせてくれてありがとう」という言葉をかけていただきました。そういうことって人生でそうそうないことだと思うので、ありがたい30年だなと感じています。

 

──11月には30周年記念ライブを開催されました。ファンの皆さんの前で歌うことで、その想いをさらに深められたのではないかと思いますが、いかがでしたか?

 

そうですね。どんなお仕事も一つのことを続けることって、時には向いていないのかなと思ったり、落ち込んだり、周りの景色の方が早く過ぎ去っていくような、自分だけ置いてきぼりになってしまったような気分になることって、みなさんあると思うんですけど、やっぱり人が人を繋いでくれますし、それが力になるんだなと実感しました。

 

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──田川さんもこの30年の間に、落ち込んだりすることもあったのでしょうか?

 

10代20代の頃は焦って焦って大変でしたね。いろんなことが気になったり、自分はなんでもできると過信したりすることもありました。

 

──そういった悩みの時代をどうやって抜け出したのですか?

 

いい人に出会ってきているお陰だと思います。ちょっと尖っている部分も面白いと受け取ってくれる大人がいたり、ちゃんと正してくれる人がいたりしたんですよ。若い頃ってどうしても尖っていたら押さえつけられたりすることもあると思うんですけど、私の場合は引き伸ばしてもらえたなと思います。

 

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──素敵な出会いをされてきたんですね。30年間歌い続けてきた中で田川さんが守ってきたもの、揺るがない想いとは、どういうものだったのでしょう?

 

歌を汚したくない、という想いですね。ということは、生き方を綺麗にするということ。と言っても、なかなか綺麗に生きていくことは難しいですけれど、日ごろの行ないも含めて、自分の心意気一つで、それが身にまとう空気になると思うんです。言葉一つにしても振る舞いにしても、その人そのものが歌に出るなと思っていて。だけど、自分の意に反して穢れることもあるじゃないですか。それを避けたいなと思って生きてきています。なかなか難しいですけどね(笑)。表現しているものは切ない歌だったり、略奪愛だったり不倫であったりすることも演歌の世界では多いのだけれど、そこでも凛としたものを表現する表現者でいたいなと思っています。

 

──ご自身のターニングポイントになった出来事はありますか?

 

作品でいうと「女人高野」(2002年)という歌ですかね。どちらかというとデビューした時から港演歌というイメージで育ててくださったものですから、一度その枠からはみ出て羽ばたいてみたいな、という気持ちがあって、作家の五木寛之さんにお手紙を書いたりして、ちょっとロックテイストなものをやったんです。今でこそジャンル分けしないで好きなことができるような、個人の主張も通るような時代になりましたが、当時はまだちょっと閉鎖的な部分もあった時代だったんです。それをやったことによって、応援してくださる人は応援してくださるし、なんで演歌以外のものをやるの?どこへいくつもりなの?という声をいただくこともあったので、社会人としてとても勉強になったなと思います。そして、その時に社会は厳しいものなのだなと思いました。それ以降は、あまり自分でこういうものをやりたい、と言うことは封印したんです。

 

──それはどうしてですか?

 

やっぱり演歌歌手としてやっていった方がいいという意見が多かったので、じゃあまたそこに戻ろう、ということでお任せする時代になったわけですね。ただ、また最近ちょっとずつ別のジャンルだったりを歌い始めたりはしていますけど。

 

──30周年記念ライブの時の動画インタビューの中で「例えばジャズなどの違うジャンルに挑戦してみたいと思うことはありますか?」といった質問に対して、きっぱりと「ないです」とおっしゃっていたのがとても印象的だったのですが、「女人高野」の時のような経験があったからだったんですね。

 

みんな迷うし、今っぽくありたいと思うんですよね。でも音楽の表現としての“今のテイスト”の割合っていうものは、その根本にある歌謡曲の比率は守りたいと思っているんですよ。演歌になる前は歌謡曲の時代だったわけで、それは日本人として誇れるところだから。日本独自の音楽はやっぱり歌謡曲だなと思っているんです。ただ、たとえば、その中にちょっと違うテイストのリズムを入れることは、すごくいいことだと思っているんですよね。そういうことができると、演歌自体がもっているイメージが、たとえばもうちょっとオシャレになったりするかなと。演歌も、全体的に変化していかないと存続はできないですから。

 

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──それが、田川さんがおっしゃっていた“新しい演歌をやっていきたい”という想いなんですね。

 

最近の演歌は表現がストレートになってきているんですけど、私が大好きな昭和40年代や50年代の演歌は行間に言えない言葉や心情が込められていたりするんです。当時の作詞家や作曲家の方達は、たとえば阿久悠先生や小林亜星先生のように、演歌だけではなくCMソングを書いていたり、キャッチコピーを作られていたりと多岐にわたっていて、言葉の魔術師みたいなところがあったんですよ。ライバルはその頃の時代の歌だと思っているんです。私がやっている世界はまだまだそれに及びませんが、やっと30年やってきて、さらに私が50代60代になった時に、そういう表現や音楽を歌っていられたらいいなと思います。

 

──デビュー30周年記念曲として9月にリリースした「雨あがり」もとてもキャッチーな歌詞で、演歌のイメージを変える力を持っていると思います。

 

去年、演歌もそうなんですが、エンターテインメントがストップしましたよね。やっぱり私も“ちょっときついなぁ”と思っていたんです。そんな夏のことなんですけど、台風が去って雨が上がった後に虹が出たんですよ。その時に私も写真を撮ったんですけど、街ゆく人たちがみんな足を止めてスマートフォンで写真を撮っているのを見て、私だけじゃなくて、みんなきっと同じような想いでいるんだな、と思ったんですよ。その時、虹が特別な虹に見えて、「この虹が救いになっているんだなぁ」と感じたんです。だから、いつも見ている夕焼けや風景なんかも、自分の気持ち次第で見え方が違ったりするんだな、ということを伝えられたらいいなと思いながら歌っております。

 

──その「雨あがり」も含め、田川さんのシングル全曲が12月22日(水)をもって配信&サブスクリプションにて解禁されました。

 

私がデビューさせていただいた1992年からの30年間は、たとえばCDシングルにしても長細いジャケットの8センチCDからいろんな形に変わっていったんですよね。変化する時代のまっただ中で、バブルのいい時代も経験させていただいた。そういった意味でも、時代の変化と比例していて、それぞれご自身の想いと重ねることができるような作品たちになっていると思います。

 

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──今まで演歌に触れてこなかったような方たちにとっても間口が広がって、入りやすくなったのではないかなと思います。

 

幸い、私は演歌の中でもいろいろとチャレンジをさせていただいてきた方だと思うんです。たとえば「しゃくなげの雨」という歌はフォークソングみたいな感じですし、ロックテイストの「女人高野」があったり、応援歌のような「花になれ」があったり、「哀愁港」という港演歌の定番のような曲もある。それぞれの好みに合うような聴きやすい音楽がたくさんあるんじゃないかなと思いますので、ぜひ聴いてみてください。

 

──最近ではYouTubeでギターの弾き語りを披露されていますよね。ギターは昔から弾かれていたんですか?

 

20代の頃からやっていたんですよ。音楽もそうなんですが、壁にぶち当たることってありますよね。何が正しいのか、私の場合、人から求められるばかりで、自分の音楽はどこなんだ?自分の声は何がいいんだ?と迷った時に、楽器をやろうと思ってギターを始めたんです。少し理屈をわかったうえで歌った方が、自分の支えになりますから。そこで、今はYouTubeで自分のオリジナル曲や、いろんなジャンルのカバーを歌っています。

 

──あいみょんさんの「裸の心」や鬼束ちひろさんの「月光」なども新鮮でした。普段はこういったJ-POPを聴かれるのですか?

 

普段は洋楽ばっかり聴いているんですよ。家で日本語の曲を聴いていると、すごく分析したくなるから(笑)。

 

──ちなみにどういった音楽を聴かれているのですか?

 

ブルーノ・マーズとか好きですね。かっこいいなぁと思います。あとシーアの「シャンデリア」なんかも好きです。

 

──もう少しプライベートなお話を聞かせてください。意外な一面は?と聞かれたら、どういうところを挙げますか?

 

意外と方向音痴です。特に電車がすごく難しいな、と思うんですよ(笑)。最近はナビのアプリとかもありますけど、年に何回かは思いっきり乗り間違えたりします。あと、地図を見ても自分がいるところとか、矢印の方向がよくわからなかったりして、何度もグルグル回ってそこから動けないっていうこともあります。

 

──矢印を見ながらグルグル回ってしまうこと、私もよくあります(笑)。それでは2022年に挑戦したいことはありますか?

 

神社を巡るのが大好きなので、来年もまた巡りたいと思います。この2年間で110カ所ぐらい行ったんですよ。このコロナ禍でものすごく救われたと思う。それまでまったく興味がなかったんですけど、不安を癒してくれたりしますよね。

 

──何かきっかけがあったんですか?

 

桜井識子さんという方の本をたまたま読んだんですけど、そこに“この神社がいいですよ”って書いてあって、それがすごく面白かったので、その方がおすすめしている神社に行っているんですよ。

 

──ちなみに田川さんおすすめの神社はありますか?

 

東京は、赤坂の氷川神社とか豊川稲荷、乃木神社もいいですね。特に何かしているわけではないんですけど、ぼーっとしに行くのがいいんです。

 

──お仕事面で挑戦したいことはありますか?

 

歌の面ではもうちょっと幅広くチャレンジしたいなと思いますね。あと、やってみたいなと思うのは、アフレコとかナレーションとか、声のお仕事。歌うことも大好きなんですけど、もともと自分が前に出ることが好きなタイプではないので、声だけでできることの幅が広がったら楽しいだろうなと思います。

 

──ありがとうございました。最後にファンの皆さんへメッセージをお願い致します。

 

いつも応援してくださってありがとうございます。みなさんの応援のおかげでいろんな歌を発売することができ、今日があると思っております。より新しい面を見ていただけるように頑張っていきたいと思います。また、今回のサブスク解禁はすごくいい機会をいただきました。普段演歌を聴かれない方々にも触れていただくきっかけになればと思います。私の曲だけではなく、演歌全体の良さを感じていただけたら嬉しいです。

 

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文:大窪由香

写真:平野哲郎

 

▼田川寿美の楽曲はこちらから

レコチョク:https://recochoku.jp/artist/2000234586

TOWER RECORDS MUSIC:https://music.tower.jp/artist/detail/2000234586

dヒッツ:https://dhits.docomo.ne.jp/artist/2000234586

 

  • 田川寿美

    田川寿美

    11月22日、和歌山県生まれ。女性演歌歌手。13歳のとき長崎歌謡祭でグランプリ受賞し、その翌年ヤング歌謡大賞チャンピオン大会でグランドチャンピオンに輝く。作詩家・悠木圭子のすすめで、鈴木淳に師事。1992年、「女・・・ひとり旅」でレコード・デビュー。レコード大賞等々の新人賞を受賞。1994 年には第 45 回 NHK 紅白歌合戦に初出場し、連続出場となった翌年を含め合計 4 回の出 場を果たす。
    また第 43 回日本レコード大賞では最優秀歌唱賞を受賞、他にも日本作詩大賞 優秀作品賞、日本有線大賞 有線音楽優秀賞、藤田まさと賞などの受賞実績を持つ。
    2021年、デビュー30周年を迎え「田川寿美デビュー30 周年記念コンサート」を実施。