2人組アコースティックデュオ・ラチエンブラザーズがレコチョクのWIZYにて配信ライブやオリジナルグッズを中心としたプロジェクトをスタート。(https://wizy.jp/project/569/)コロナ禍においても積極的に配信ライブを実施し、音楽を届けることをやめなかった彼らが、「コロナが早く終息し、最後の配信ライブにしたい」と意気込み実施する今回の配信ライブは、レコチョクのフロアをステージとして実施する。そこで今回、本プロジェクトに込めた想いを中心に、彼らの音楽ルーツや結成のきっかけについてなど、さまざまな話を聞いた。彼らが今感じている想いや考えを是非、受け取ってほしい。

 

 

「音楽やってるんですか?」って声を掛けてきてくれて。そこから仲良くなりました

 

 

──お二人が音楽を始められたきっかけを教えてください。

 

吉田弦:僕は5歳ぐらいから大学まで野球をずっとやっていたんですが、ひじを壊してしまったんです。それで野球を辞めて就職しようと思ったんですけど、何かもう一度自分が輝けるような、球児が憧れる甲子園みたいな場所を目指したいなという気持ちがあって。その時に親といろいろ話をしていて、昔親父が音楽をやっていたと聞いたんです。自分の名前が“弦”であることもあって、じゃあ僕も音楽をやってみようかなと思って路上ライブを始めて。それからいつの間にか12年ぐらい経ちました(笑)。

 

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──やろうと思い立って、すぐに実行されたんですか?

 

吉田:そうです。音楽をやろうかなと考えた時間は2時間ぐらい(笑)。2時間の間で「よし、やろう」と思ってここまできました。あんなド下手な状況から、よくここまで来たなと思いますよ。一人でやるのは怖いので、当時野球部で一緒だったやつと一緒に、2人で路上に立ちました。「コブクロさん路上やってるらしいよ。あれぐらい集められるんじゃない?」って。全っ然無理でしたけど(笑)。

 

──黒宮さんはいかがですか?

 

黒宮雅斗:僕は子供の頃から歌うことが好きだったみたいです。自分では認識してなかったんですけど、「クレヨンしんちゃん」の「オラはにんきもの」っていう歌のサビをずっと歌い続けているビデオが残っていたんですよ(笑)。それを見て、昔から歌が好きだったんだなと認識して、一人でこっそりカラオケに行くようになって。そのうち友達とも行くようになると、人に聴いてもらう楽しさを覚えてきて。僕が中学2年生になった頃に、テレビ番組の影響でアカペラが流行って、友達の中にも歌好きが多かったのでアカペラグループを組んだんです。そしたら、僕の地元にRAG FAIRのおっくんがゲストとして来るイベントがあって、おっくんに会いたいがために出場しました。へったくそだったんですけどね(笑)。その時にホール会場で人前で歌ったことが気持ちよくて、またやりたいなあと思っていたら、高校に入る前の暇になった時期に友達がバンドに誘ってくれて。そのバンドでボーカルをやることになって、ELLEGARDENの曲を覚えました。

 

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──アカペラグループとバンドだと、歌のテイストも違いますね。

 

黒宮:そうですね。でも歌が好きだったから何でもよかったんですよね。その時は楽器が全然弾けなかったから、ボーカルだと楽器をやらなくていいし。ライブハウスで、爆音の中で歌うのが本当に楽しくて、そこから今に至るという感じです。

 

──今回作成してくださったプレイリストは、「ルーツになった曲、影響を与えた楽曲」をテーマにしていただきました。

 

吉田:僕は本当にサザンオールスターズが大好きで。「いとしのエリー」は僕の中で音楽を始めるきっかけになった曲なんです。路上ライブをやろうと思い立った翌日に大阪の錦浜というところに行って。やり方がよくわからないので、まず僕らの方から声を掛けて止めないといけないんじゃないかと思って、向こうから歩いてきたカップルに声を掛けたんですよ。「僕ら今から歌うので聴いてもらえませんか?」って(笑)。それで、ガラガラの声で「いとしのエリー」を歌って、「どうでしたか?」って聞いたら、「よかったです」って…。まあ、そう言うしかないですよね。でも、僕らはそこで勘違いするわけです。これは梅田の歩道橋で歌っても大丈夫や!と(笑)。

 

──梅田の歩道橋といえば、コブクロやflumpoolが歌っていた場所として有名ですよね。

 

吉田:そうなんです。それで僕一人で「いとしのエリー」を歌ったら、足を止めてくれたおっちゃんとおばちゃんが「売れる!」って言ってくれて、さらに大勘違いが始まり(笑)。でも、その勘違いがなかったら、僕は音楽を辞めていたかもしれない。「いとしのエリー」は音楽を続けるきっかけを与えてくれた曲です。あと、ポルノグラフィティは、音楽に対してほとんど共通項のない黒宮と唯一被ったアーティストで、その中で「ヒトリノ夜」を選曲しました。

 

──黒宮さんは先ほどお名前があがったRAG FAIR、ELLEGARDENの楽曲をあげてますね。

 

黒宮:はい。RAG FAIRは人前で歌うきっかけになった曲、ELLEGARDENはバンドで初めて覚えた曲。このプレイリストは僕の音楽のルーツそのままです。

 

──藍坊主の「雨の強い日に」は初期の頃の名曲ですね。

 

黒宮:ベースの藤森さんが作った三大失恋ソングの一つなんですけど、めっちゃ好きなんです。もともとパンクが好きで、僕を誘ってくれたバンドのベースの子から「藍坊主いいよ」って言われて聴いてみたら、歌詞がすごくいいなと思って。専門学校時代に聴いた「水に似た感情」は、自分と同じことを考えてるんだなと思って、はまっていきました。

 

──ラチエンブラザーズという名前は、吉田さんがリストに挙げたサザンオールスターズの「ラチエン通りのシスター」からきているんですか?

 

吉田:そうなんですよ。これはもう僕が一方的につけました。サザンさんの曲から名前をつけたいなと思っていて、ちょっとマイナーな知る人ぞ知る曲から取るとしたら、「ラチエン通りのシスター」がいいなと思って。で、僕らは男なのでシスターじゃなくてブラザーだな、と。

 

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──なるほど(笑)。これほどまでに聴いている音楽が違うお二人が、どうやって出会ったんですか?

 

吉田:その頃、僕らはタレント事務所にいて、そのレッスン所で黒宮の方から「音楽やってるんですか?」って声を掛けてきてくれて。この子も音楽やってるんやと思って、そこから仲良くなりました。

 

黒宮:僕は新潟で音楽を続けていたんですが、テレビ番組の企画で優勝したりしても、その先が何もなかったんですよ。これは新潟にいてもダメだなと、東京でとにかく表に出なきゃダメだなと思って、そのタレント事務所のオーディションに応募して入ることになったんです。彼が話しているのを聞いて、音楽をやってる人なんだなと思ったのと、人を集めているのを見て声を掛けた感じです。僕は一人でやっていくタイプなんで、自分にない要素を持っている人だなと思って。

 

──音楽じゃなくてもいいからと思って入った事務所で、音楽のパートナーを見つけたということですね。

 

黒宮:そうなんです(笑)。

 

──黒宮さんが作詞作曲を始められたのはいつ頃ですか?

 

黒宮:最初のバンドが解散して、次のバンドを始めた時です。僕をバンドに誘ってくれたベースの子と一緒に別バンドを始めることになって、その時に彼が「絶対にカバーはやらない。オリジナルでやる」って言い出して。高校の夏休みに彼の家に行って、十数曲バーッと曲を作るのに僕もギターが弾けなきゃダメだということで、そこで初めてエレキギターで簡単なコードを弾くようになった感じです。それが作詞作曲の基盤になってますね。

 

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──吉田さんは黒宮さんが作ってくる楽曲に対してどんな印象を抱いていますか?

 

吉田:好きでしたね。その気持ちは今でも変わらないです。まだラチエンブラザーズっていう名前もない頃、路上に出る前に配信をやっていて、その時に今も歌っている「君へ」という曲を歌ったんですよ。初めて聴いた時に衝撃を受けて、一発で好きになったのって、サザンの「真夏の果実」くらいだったので、それくらいこの曲もいいなと思いました。それから作ってくる曲を聴くたびに、既存曲を聴くたびに、いつもいいなと思っています。

 

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──2015年からお二人で路上ライブを始めて、手応えを感じるようになったのは、どんなタイミングですか?

 

吉田:やっぱり路上ライブをしていて、人が人を呼んでたくさんの人が集まってくれた時は、歌っててよかったなと思いますし、自分の自信に繋がりますよね。今はそれができない状況ですけど。

 

黒宮:年末に毎年一回大きいライブをやっていたんですけど、それが埋まるくらい路上ライブで人を増やせていたことですかね。

 

──2020年1月に配信シングルとして再リリースした「君へ」が、レコチョクデイリーランキング1位に輝いたことも、手応えの一つになりそうですね。

 

吉田:本当にやっててよかったなと思いますよね。そうそうたる有名なアーティストの中に自分たちの名前があったということが、僕らの自信に繋がったし、僕らはもちろん、僕らを応援してくれているお客さんも喜んでくれて、お客さんたちからの声を聞くのも嬉しかったです。本当にいい1日になりました。

 

 

RACHIEN BROTHERS「君へ」

 

 

──特に「君へ」は長く歌い続けている楽曲だと思いますが、例えば今だったらコロナ禍でくじけそうな心を鼓舞してくれたり、時代に応じて楽曲の聴こえ方も変化しているように感じますか?

 

黒宮:この曲はもともと友達に書いた曲で。パティシエの専門学校に行っていた時に、友達が世界大会に出るっていうので応援しようと思って、クラスのみんなで歌う曲として作って彼に贈ったのが「君へ」だったんです。僕もその大会に出たくて選考会に出したんですけど、僕は落ちちゃって。その友達の家に行った時に、練習した後がいっぱいあって、それを見た時に、勝てるわけがなかったと実感しました。ラチエンブラザーズになる前も後も歌っているんですが、やっぱりみんなが「君へ」がいいって言ってくれるんですよ。それを聞いた時に、楽曲が育って、今やみんなの応援歌になっているんだなという意識になりましたね。

 

吉田:CMにも使っていただいたりして、本当によかったなと思います。19歳ぐらいの時に作ったんでしょ? すごいことですよね。今も色褪せることなく、どんどん知ってもらえる曲になって。

 

黒宮:そう考えると、すごいことだよね。

 

 

 

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