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GLAY

 

GLAY

今年、デビュー20周年を迎えたGLAYの記念すべき50枚目のシングルは、亀田誠治氏をプロデューサーに迎え、GLAYメンバー4人が1人1人書き下ろした楽曲が収録される
「G4」シリーズの第3弾!表題曲である「BLEEZE」はシングルとしては初のTERU作詞・作曲楽曲で10年振りに開催する「GLAY EXPO 2014 TOHOKU」のテーマソング。
「夏」にぴったりなGLAYらしい爽快なロックナンバーで、ライブの新定番ソングになるであろう新たな歴史のスタート感じさせる作品!

また、レコチョク Bestアーティストプランなら、GLAYの楽曲が100曲以上聴き放題!! さらにメンバーの夏に聴きたいオススメ曲も公開中!!

最新曲

BLEEZE
  • 『BLEEZE ~G4・III ~』
  • メンバー4人それぞれの書き下ろし曲が収録された今作。各楽曲について作曲メンバー本人が解説!
  • 購入する
  • BLEEZE
  • 「TAKUROの楽曲はGLAYの歴史を作ってきたわけだし、“GLAYブランド”になってますよね。そのTAKUROから『今回50枚目のシングルで、かつデビュー20周年で、TERUの曲がシングルだったらドラマティックじゃん!』と言われ、『うーん、はい、頑張ります』と(笑)。コードも自分なりにいろいろ勉強したし、うまく形になったんじゃないかな、と思ってます」(TERU)
  • 外灘SAPPHIRE
  • 「今回の曲で、少なくともGLAYのポップスの“ひな形”からは、飛び出すことができたのではないかと思ってるんです。昔から『外灘SAPPHIRE』的な楽曲には何度もトライしてきたんですが、やっぱり20年掛かってできることっていうのがあるんだなと。だから“前と違うことをやる”とかの次元ではなくて、個人的に本当にやりたいことを今回の曲ではできた」(TAKURO)
  • 黒く塗れ!
  • 「人間関係、経済関係、その他もろもろ普段生活している上で、そういう面倒くさいことは大なり小なり生まれてくるんですが、そういったことを一度真っ黒に塗りつぶしたいなと。ある意味でロック・ミュージックの代表的フレーズである“Paint It Black”が、今ものすごく自分に近いところにある気がするんですよね。詞も曲も一気に書き上げました」(HISASHI)
  • YOU
  • 「僕の曲の中では“やや複雑な”コード展開の楽曲というか。僕の場合、もっと単純なコード展開の曲が多いんですけどね。今回は歌詞も書いたんですけど、『YOU』の世界観がダークな感じだったので、3~4割ぐらいは最初の段階からすでに完成形に近い歌詞だった。僕は曲を聴かせるために引っかかりのある言葉を使うタイプだと改めて思いましたね」(JIRO)

GLAY EXPO 2014 TOHOKU

GLAY EXPO 2014 TOHOKU
I Love GLAY Photo Contest

レコチョクでは、9/20(土)GLAY EXPO 2014 TOHOKUの開催を記念して、『I Love GLAY Photo Contest』を実施しております。
参加方法はとても簡単ッ!
下記、特設ページの「Twitter投稿」より、あなたが大好きなGLAYにまつわる思い出のCD、ツアーグッズなどなど、自分らしいフォトをアップするだけ★
審査員にはGLAYのメンバーも招聘!!
GLAY&レコチョクスタッフに選ばれた優秀な作品には賞品をプレゼント致します!
是非ぜひ、皆様のたくさんのご応募をお待ちしております!

募集の特設サイトはコチラ♪
【募集期間】
9/8(月)~9/30(火)24時まで

 

10年ぶりのGLAY EXPOは東北で開催決定!!

【日程】
2014年9月20日(土)

【会場】
ひとめぼれスタジアム宮城
(宮城スタジアム)

【チケット一般発売】
発売日: 8月30日(土)
販売席種: S席、A席

 

【レコチョク限定】GLAYメンバーによるプレイリスト企画

TERU

TERU
 
  • 本人コメント
  • 「以前、夏の時期、ロスにレコーディングしにいったんですが、サンタモニカからロスへの往復を僕が運転。カーラジオから聞こえて来てた数々の楽曲。その当時に聴いた曲は殆ど好きになったんですが、この曲達が聴こえて来た時の衝撃は今でも忘れられません。カラッとした太陽の下、フリーウェイを走りながら聴いたこの曲達は、今でもその時の空気感を感じさせてくれます」
 

TAKURO

TERU
 
  • 本人コメント
  • 「たくさんの粋な女達に抱かれたあの夏の日々はもう遠い想い出の彼方。ただ苦い思い出と優しい曲があるだけさ…」
 

HISASHI

TERU
 
  • 本人コメント
  • 「海外のハイウェイや浜辺やクラブで聴きたい曲を集めてみました。NIN公演でのHow to Destroy Angelsが素晴らしかったのでTOPはこの曲」
 

JIRO

TERU
 
  • 本人コメント
  • 「『BLEEZE』は記念すべき20周年の夏を象徴するような曲だと思います。それ以外は、曲を聴くと過去のEXPOやスタジアムライブを思い出し、夏を感じます」
 

TAKUROスペシャルインタビュー ~GLAY 20年の軌跡~

GLAY EXPO 2014 TOHOKU

GLAYのリーダーであるTAKUROが語る、レコチョク独占GLAYヒストリーインタビューの第三弾。
最終回となる今回は、デビュー15周年目の2009年から現在の2014年まで――。あらゆる経験を経た4人だから感じる“今”がそこにある。

デビュー15周年にバンド史上最も長い楽曲「SAY YOUR DREAM」リリース

“子供のころから恐れていたことを音楽にして表現できた”

2009年にリリースした「SAY YOUR DREAM」は、出すことによって自分自身が楽になったなと。自分の親父が38歳で亡くなり、当時の自分もその年齢を迎える時期で……DNAレベルでの恐れというのか、これを書けたことと自分に子供ができたことで越えられたんだ。結局子供が生まれれば、自分の死を逆算しだすわけだし。「鼓動」(2007年)や「SAY YOUR DREAM」もそうだけど、この時期は重くて暗い曲が多い。でもノストラダムスの大予言じゃないけど、子供のころからなんとなく恐れていたことを音楽にして表現できた。だからこそ、音楽に感謝してます。それを許してくれるメンバーにも感謝してるしね。誰だって13分もある曲をやりたくないよね(笑) でも時期的には良かったかな。この曲で信用してくれた人がたくさんいた。記念すべきこのタイミングで「HOWEVER」みたいな曲ではないんだ!? という反応ではなく。夢をもう一度じゃなく、今を歌ってるんだねという。懐かしのメロディーみたいなバンドになるわけではないんだね、というところですよ。

2010年 10枚目のアルバムはバンド名を冠した『GLAY』

“「HOWEVER」や「Winter,Again」の呪縛からもう逃れてもいい”

正直言って俺、全アルバムの中で『GLAY』がいちばん好きなんだけど、このアルバムは久々にリーダーの指揮権発動じゃないけど(笑)、コンセプト作りから全部自分でやって、「こうしたいんだ!」って思いをメンバーに伝えて、理解してもらえたしね。ものすごくポップなアルバムで、94年の頃に頑張っていた作家性が出た作品。今までにない曲で「シキナ」ができたり、今までのような曲として「遙か」ができたり、「Satellite of Love」ができたりという。他のメンバーの曲が自分の中でどんどん大きくなって、「HOWEVER」や「Winter,Again」の呪縛からもう逃れてもいいのかもと。他のメンバーの楽曲も、誰がシングル曲を書いてもいいんじゃない?という楽曲だった。それを他人にお願いしないで自分でプロモーション出来る力をつけたことが大きいですよ。これらの曲を理解してるのは俺がいちばんで、作った本人よりも俺が理解してる。だからこの曲の売り方は俺が考えるって。それができるようになったことは、GLAYをより自由にしてくれましたね。

プロデューサー佐久間正英氏との最後の作品「DIAMOND SKIN」

“生きている間に佐久間さんとの仕事をひとつ完結できた”

もともと、「DIAMOND SKIN」はいい曲だったし、いいタイアップが付くとか、いいタイミングが来たら出そうと思って取っておいたんです。佐久間さんが生きているうちに出したかった(佐久間氏は2014年1月に他界)。佐久間さんが闘病しているうちに街の中で曲が鳴って、それを佐久間さんが耳にする、いい曲だってことが佐久間さんにも伝わること、それがこの曲が待った意味なんじゃないかと思って。アルバムは『JUSTICE』と『GUILTY』、自分たちプロデュースと佐久間さんプロデュースとあるけど、「DIAMOND SKIN」は佐久間さんが生きている間に佐久間さんとの仕事をひとつ完結できたもの。それは、俺たちにとってすごい大切なことだったんです。

そして2014年、デビュー20周年目のGLAY EXPO開催

“自分たちが愛されてきたのなら、それを証明する場所を東北に捧げたい”

コンサートそのものはコピーされないと今は言われているけど、いずれはコンサートもコピーされると思う。みんなスマートフォンで撮りだして、海外のフェスも簡単に見て、“ああ、こんなことやってるんだ”と真似をしてね。で、そのうちそれだけで満足してしまうんだと思う。だからこそ俺たちは、EXPOを開催するんだったら、そのライブの前後に付加価値をつけて、祭りの前と後の高揚と切なさを含めたうえでコンサートで表現していきたいと思った。
2014年5月に出演した六魂祭のコンセプトはそのまま俺たちがやりたかったことと同じ。復興を願う、東北六県がライバルではなく、祭でコラボレートする、そういうことを今年やるためには、EXPOをやることを決めた時から3年という月日が必要だった。GLAYが活動してきた20年間、自分たちが間違っていなく、かつ愛されてきたのだったら、それを証明する場所を東北に捧げたいなと。ずっと応援してくれた人がいるわけだし、自分の誕生日を祝ってもらうより、人の誕生日を祝う方が俺は好きだし。だから、今回のGLAYの20周年は東北のために捧げたいんです。

(インタビュー by 佐伯明)

TAKUROスペシャルインタビュー ~GLAY 20年の軌跡~/第二弾

GLAYのリーダーであるTAKUROが語る、レコチョク独占GLAYヒストリーインタビューの第二弾。
今回は「HOWEVER」のヒットにより一躍スターダムにのし上がった彼らに襲った苦悩と迷いの日々――。もがきながらも前に進み続けた1998年からデビュー10周年の2004年まで。

1998年「誘惑」「SOUL LOVE」同時シングルリリース

“忙しすぎて、記憶があまりない(笑)”

「誘惑」「SOUL LOVE」の2曲は年間シングル1位2位を獲得しましたが、実はこの頃になるともう忙しすぎて、記憶があまりない(笑)。いちばんやりたくなかった“こなす業務”が出てきて。この頃の作品には「もうひと手間かけるべきだな」と感じるものもある。98年から99年は、当時のスタッフも言ってた、「やむを得ず断らないといけない仕事が多すぎた」とね。「GLAYにひと言もらいたいんだけど?」っていう依頼を、いかに失礼に当たらないように返していくかで精一杯だった。忘れもしない、「SOUL LOVE」は芝浦のスタジオでわずか10分位で作った記憶がある。「明日レコーディングするから」と言ってね。ザ・ビートルズの「涙の乗車券」みたいなリフから始まって、あとは録り溜めていたものの中から当てはまるものを入れ込んでいって制作しました。そんな時代でしたね。

1999年 初めてのEXPO開催~バンドに忍び寄る「影」

“世の中の光の強さっていうのは、同時に“影”も生む”

『REVIEW-BEST OF GLAY-』が500万枚売れた時に、自分が「悪いことのほうが多い」って発言してファンの人たちに批判されたことがあったけど、でも例えば親戚のところまで誰かが行って「子供の頃のTAKUROってどうだった?」と聞かれるとか、家の前に24時間見知らぬ人がいるとか、そういった“影”の部分をファンたちは知らないし、知る必要もないじゃない?だけど俺たちは学ぶよね……そうなんだと。世の中の光の強さっていうのは、同時にスゴイ“影”も生むんだなって。それは田舎から出てきて10数年の俺たちにとってみたら、耐えられる人もいるかもしれないけど、耐えられない人もいる。その人を目の前にして自分ができることが少ない無力さ、まあヘコむよね……。彼らを誘ったのは俺だからね。90年代の終わりはそんな2~3年を過ごしてたかな。
あと、ヒット曲が生まれるということは、「メロディや歌詞が時代をとらえたから」っていう人がいるけれど、俺はそうは思わない。やっぱりそこに関わった人たちが、みんなで全力を尽くした結果が、一瞬のきらめきみたいなものを生み出す。その結びつきってほんとに短い時間でしかないからね。だから、最初のEXPOを開催した94年より繋がっていた僕らと、それを取り巻くチームが頂点を迎えたあと、迷いに入っていくことになる。「このままでいいのか?」と感じ始めていた時期だね。

2001年『ONE LOVE』リリース~2002年北京でのコンサート開催

“どうやって身を引くかみたいなことも考えた”

2001年の9・11事件は、自分たちにもかなりキツイ出来事だった。自分たちが歌い上げている「Global Communication」というものがまったくもって白紙に戻されたような……、俺たちがいいと思っている音楽はみんなにとってもいいんだみたいなことを疑い出す始まりだった。そんな中、北京で開催した“JAL Presents 日中国交正常化三十周年特別記念コンサート~GLAY ONE LOVE in 北京”は本当に素晴らしい経験になった。今の世の中の情勢とは別に、知り合った仲間たちは今でも仲いいしね、MAYDAYしかり。この頃はよく旅もしたな。2001年のEXPOが8月に終わるんだけど、9月に紫雨林(ジャウリム)に会いにひとりで韓国に行ったもんね。で、1週間くらいメンバーの家に泊めてもらったりしてた。と同時にこの頃は、どうやって身を引くかみたいなことも考えたよね。

2004年 3度目のEXPOとデビュー10年目での独立

“GLAYをどうしていいのかがわからなくなっている時期”

巨大化した当時の所属レコード会社をどうしようかと、プロデューサーとよく話をしていたな。今までのような規模ではいかないんじゃないかとか。スタッフも含めてGLAYをどうしていいのかがわからなくなっている時期だった。だからベスト盤のリリースも多いし。
“Global Communication”の名のもとに海外にも進出はしたけど、違法コピーが横行していてビジネスにならない現実があったりした。そしてアジアに対して積極的にやっていこうということは頓挫したんです。彼らスタッフの気持ちを俺は受け止めきれなかったね。自分の信念を曲げてまで誰かのためになろうとする、そういう関係が正しいとも限らないわけだし、いつか終わりを告げるもの。USJでのEXPOではそれが決定的になった。そして俺たちは自分たちでやっていこうと決意をする。デビュー10周年でしたからね。

(インタビュー by 佐伯明)

TAKUROスペシャルインタビュー ~GLAY 20年の軌跡~/第一弾

GLAYのリーダーであるTAKUROが語る、レコチョク独占GLAYヒストリーインタビュー。
3回に分けて掲載される第一弾は、1994年のメジャーデビューから「HOWEVER」のスマッシュヒットが生まれた1997年まで。

1994年 GLAYメジャーデビュー

“大いなる夢に燃える青年でした”

どのバンドのどの人たちにも言えることでしょうけど、ロサンゼルスに行って最初のレコーディングの時は、それこそ大いなる夢に燃える青年でした。やることなすことすべてが初めて。YOSHIKIさんの妥協なき姿勢を見たし、YOSHIKIさんがスピード違反で捕まるのを見てロックスターってスゲエなと。で、主(あるじ)のいないYOSHIKIさんの家に行って、一晩中飲んでました(笑)。
デビュー当時の手帳とかもまだ持ってたりするんだけど、当時は忙しいと思っていたわりに、意外にスケジュールは空いてた。1本1本が深いというか重いというか、緊張してたのか、毎週のように音楽誌以外の取材も受けました。新人だったからデビュー日はラジオのID録りを延々とやってて、「日本にこんなにたくさんラジオ局ってあるのか!?」と思いながら(笑)。人間、同じことを延々やっていると頭がおかしくなるね。ラジオ番組名を言っているだけなのに、メンバーみんなゲラゲラ笑ってたりしてね。

1996年「グロリアス」のブレイク~「BELOVED」のチャート1位獲得

“タイアップの仕事を断らなくてよかった”

当時はタイアップ全盛時代でね。テレビのCM曲、ドラマの主題歌になればバンドの道が開ける、みたいな考え方が強くあったから「グロリアス」までの間にその後のプロとの境界線をちゃんと行き来できるだけの技術を身につけた時代でしたよね。「彼女の“Modern…”」みたいな曲に初めて意識的に挑戦したし、映像にあった作曲スキルを身につけるだとか、歌詞を修正するだとか。俺、あの時そういうタイアップの仕事を断らなくてよかったと思ってるんです。

“俺の本来の音楽性は「BELOVED」”

「BELOVED」を作っていた95年にMr.Childrenは少し休んでいて。『Atomic Heart』『深海』で「これだけ若くても、こんなに人生について歌ってもいいんだ」と感じたかな。俺の本来の音楽性は「BELOVED」みたいな楽曲なんだけど、当時はヴィジュアル系だったから「Yes,Summerdays」みたいな楽曲しか出してこなくて(笑)。Mr.Childrenに衝撃を受けたのは、ロックバンドでありながらシンガー・ソングライターが書くような楽曲を歌っていること。そこがサザンオールスターズとは違ったよね。桜井くんの痛みに世の中が共感してて、こういう表現もあるのかぁと思って作ったのが、実は「BELOVED」なんですよね。

1997年「HOWEVER」のスマッシュヒット~全国規模のバンドへ

“「pure soul」はGLAY最初の“泣き”、その一番搾りが「HOWEVER」”

「HOWEVER」と「pure soul」ってほぼ同時に10日間で作ったんです。俺、チューリップの「青春の影」という曲が大好きで、そういう曲を作ってみたいなぁという素直な感覚から「HOWEVER」が生まれました。この頃になると世の中のタイアップと音楽という関係がだんだんいびつな形になってきて、主題歌になったから売れるというものでもなくて、やっぱりちゃんとドラマの内容を理解した上で書いてないと大ヒットはしない、と。俺たちもけっこうタイアップとかをやってきて、「青春の影」は結婚の歌なんだけど、ちょっと人生の芯を食ったような曲でないとヤバイのでは?と思って作ったのが「pure soul」と「HOWEVER」だった。「pure soul」はGLAY最初の“泣き”なんだよね。よく言えば陰りだし、悪く言えば愚痴。それの一番搾りみたいなのが「HOWEVER」かな。当時はやりたいこととやりたくないことの区別がうまくつかないし、それらをやりこなすだけの力量もないから、だんだん窮屈になってくるじゃないですか?TERUも「声が出ない」って泣くしさ。それはそうだよね。ツアーをやってる合間に東京に帰ってきては雑誌の取材やテレビ出演があり……、次にまた遠いところまで行ってあの高音を出さなきゃいけないっていうね。やっぱり誰もが通る夢と現実の狭間みたいなもの。でもそれをきっちり超えないといけないなと思ってました。

(インタビュー by 佐伯明)

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